2025年08月14日 聞法
お盆2日目ですが、今年は土日と祝日の山の日が続いたので、お墓のお掃除などで早めに訪れる人が多く、境内の墓地はすでにお供えのお花でいっぱいです。
この日のお朝事(おあさじ)、朝の勤行にも大学生が参加してくれました。
お話は「ありがとう」の反対について。
ありがとうの反対は当たり前。さすが、大学生はすぐに答えがでていました。
ありがとうは有り難う。有ることが難しい、と書きます。本来、そう有ることが難しいことが、今私に届いていることに感謝する言葉です。当たり前に感じている時には「ありがとう」が出てこないので、反対と言えるのではないでしょうか。
有ることが難しいことが起きているけれど、それを当たり前に感じるのは、当たり前に感じる私の「思い」を通して物事を見ているからかもしれません。
この「思い」はコップにいっぱいに入った水に喩えられます。思いがいっぱいだと、目の前のことが入ってこないけれど、何かコップが揺すられることがあって水がこぼれれば、そこに目の前のことに気づくすき間が生まれるんじゃないか、という喩えです。
東日本大震災の時に、物流が止まって食べ物も飲み物も手に入らなくなった。昨年の能登半島では、支援に行ったけれども水がなく、どこに行ってもトイレが使えなかった。文字通り、当たり前が大きく揺すられて、身の回りの様々なことが本当は有ることが難いことだったと気がつかされました。
けれど、人は忘れるし、すぐに自分の「思い」でいっぱいになってしまうから、当たり前に感じている自分を時々意識して訪ねてみることが大事なのだと思います。
法話の後も、勤行本について質問してくれたりして、朝の時間を過ごしました。たまたまのご縁ですが、本堂に足を運んでくれる人がいる。お話を聞いてくれる人がいてくれるので、あらためて当たり前ということについて考えさせてもらうことができました。
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