活動報告

2022年12月15日 聞法

2022年10月24日 徳泉寺報恩講

10月24日(月曜日)、宗祖親鸞聖人のご命日法要である報恩講が勤修されました。
前日早朝より同朋会有志の方々が清掃やお荘厳の飾りつけ、配布物の作成などの準備にきてくださいました。毎年のことながら、てきぱきと手際よく準備が進み、あっという間に報恩講お迎えのしつらえが完成しました。

当日は穏やかな秋晴れ。報恩講は真宗門徒にとって一年の始まりであると言われますがその言葉にふさわしく厳粛な雰囲気のなか、報恩講用のお勤め「正信偈真四句目下」が勤まりました。
法話は三年目となりました若林区浄澤寺御住職小野和徳師。昨年は「私たちは過去への後悔と未来への不安の中に生きていて今を生きることがとても難しい」とお話しいただきましたがその続きとも言えるご法話でした。

コロナ禍でお斎(お食事)の再開が難しく、その分あっさりとした法要になっていることは否めませんがどんな状況であっても、その時々にあわせて教えを聞く場を開いていく、教えに耳を傾けていくということを深く確認した報恩講でした。

法話 小野 和徳 師(若林区浄澤寺住職)
「罪福心を抱えて生きる」《一部抜粋》
罪福信ずる行者には 仏智の不思議をうたがひて 疑城胎宮に留まれば 三宝にはなれたてまつる(正像末和讃)
私たちが心に必ず抱いているものに「罪福心」があります。罪福心とは自分に都合の良いことを求め、悪いことは排除しようとする心です。この罪福心、自分の心からなくすことができればいいのですが、生活から離れ厳しい修行をしても尚、そんなことはなかなかできません。ましてや私たち日常生活を送るものはこの罪福心から逃れることはできない、と考えられます。良いことがあれば有頂天になり、嫌なことばかりがやってこれば失望の淵に立ちます。これは自分の人生、自分でコントロールできる、と思っているからおこることですが、実際には思い通りになりません。

親鸞聖人は罪福心をなくすことはできませんよ、と私たちに教えてくださいます。私は罪福心を持っているのだ、と気づかせてくれるのが仏の教えである、と。罪福を尽くしながら日常を送る私たちに、罪福を尽くしながらも、仏教との出遇いを通して生活していくことができる、こんな私があったのだ、と自分自身に驚かされる、気づかされるということがある。そこに浄土真宗が開かれた意味があるのではないかと思うのです。

◎葬儀・法要・墓地その他についてのご質問、ご相談はお気軽にお問合せください。

真宗大谷派 徳泉寺 とくせんじ

〒983-0852 宮城県仙台市宮城野区榴岡3丁目10-3
TEL.022-297-4248
FAX.022-297-4381
E-mail tokusenji.sendai@gmail.com

住職 徳泉寺 第17世住職
関口 真爾 せきぐちしんじ
前住職 徳泉寺 第16世住職
関口 秀和 せきぐちひでかず

© 徳泉寺 All Rights Reserved.

ページトップに戻る