2022年05月29日 聞法
2022年5月28日(土)。若林区元茶畑にある東漸寺さんを会場に真宗大谷派仙台組の帰敬式法座がひらかれました。
来年、京都の本山である東本願寺での宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要を控え、この6月11日に木町通の斎苑を会場に仙台教区慶讃お待ち受け大会を予定しています(参加受付は終了しました)。その慶讃お待ち受け大会の中で行う「帰敬式」について、毎月東漸寺で行われている同朋会(聞法会)の場にお邪魔して帰敬式ということを一緒に考える機会として帰敬式法座を行いました。徳泉寺からは10名の方が帰敬式を受けられるので、今回一緒に参加させていただきました。
仙台組(主に宮城仙台以北の寺院グループ)組長からは、帰敬式でいただく法名について「私たちには親からいただいた名前がありますが、あらためて名前ということの意味について皆さんと一緒に考えたいと思います」というご挨拶がありました。
ご法話は仙台教区駐在教導の源さん。ご自身の育った山のふもとの田舎で、農作業から帰って来られたおばあちゃんが、腰を伸ばしながら、口からは「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と言っておられた。また、本堂の中で子どもの自分が座布団を飛ばして遊んだりしていたのを、お参りしているおじいちゃんたちが叱らずに「こっちに来て、いっしょに座ろう」と言ってくれた。今になってふり返って見ると、自分から教えにあうというよりも、自分に先だってそのことを大事にしている人がいてくださった。自分をそこに座らせてくれたのだと思うと話されました。大事なものに出あうという時、そこにはすでに大事にされている人がいて、そのことが自分に伝わってくるということなのでしょう。
何を大事にするのかというお話では、帰依三宝(きえさんぽう)について話されました。帰敬式の帰敬というのは、仏(ぶつ)、法(ほう)、僧(そう)の三つの宝に帰依すること。
仏は仏陀(ぶつだ)。目覚めた人、お釈迦様。
法は仏法(ぶっぽう)。釈迦様を目覚めさせたはたらき。
僧は僧伽(さんが)。教えを聞く人の集まり。
三帰依文の一つとして、子どもたちと読んでいる文章を紹介していただきました。
ちかい
わたくしたちは、ほとけのこどもになります。
わたくしたちは、ただしいおしえをききます。
わたくしたちは、なかよくいたします。
法名は亡くなってからのお名前というイメージが一般的だと思いますが、実はこのことを誓って生きるというお名前なのです。
亡くなってから法名をつけるのは、私にさきがけて命を生ききられた、そこに大事なはたらきがあったこと、残された方に大事なことに出あってほしいという願いがあります。
お話の最後に、善導大師(中国の僧、親鸞聖人が大切にされた七高僧のお一人)の言葉を紹介していただきました。
「経教はこれをたとうるに 鏡のごとし」
仏法は私の姿を映す鏡である、という言葉です。
私たちはどんな身をいただいているのか。私たちの苦しみはどこからくるのか。自分のこと中心で生活している、その私を照らして見せてくるのが仏法。仏法を聞いて迷わなくなるのではなくて、迷っていることに気づかせてくれる鏡の様なはたらきなのです。帰敬式で法名をいただいて偉くなるのではなくて、新しく自らをたしかめる生活が始まっていく。仏弟子の視点をいただくのでしょう。
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