2020年05月
穏やかで和やかな、人もうらやむような家庭に見えても、人知れない不満はあるようです。そして、その不満はいつか「ぐち」になってどこかで吐き出されることになります。
溜まりに溜まった不満を一気に吐き出して聞いてもらうと、そして慰めの言葉の一つもかけてもらうと、なぜか気持ちが軽くなったような気がするのですが、それでも現実は少しも変わらず、その不満な家庭は同じ状態のままあるわけです。また一途に我慢の生活に戻らなければなりません。外から見ると明るく見える家庭で、暗い生活を繰り返さなければならないことになります。
「ぐち」とは漢字で「愚痴」と書きますが、「痴」は「疒(やまいだれ)」に「知」で知識・知恵が病気になって、物を正しく見ることができない状態を言うのだそうです。
私たちは、「苦」は私の外から来るものと思い、外にばっかり目を向けて「あれさえなかったら」とか、「あの人がこうだったら」と、他人、他のものの変化・変革によって自分の「苦」を除こうとしますが、そこに問題があるのだと、苦しんでいるこの「私」に視点をおいて、目を「私」の内へ向けていくのがお釈迦様の仏教です。
「苦」から逃げ、「苦」の責任を他に転嫁していたその事実に目を開くとき、「苦」の事実をあるがままに引き受けていくことができるようになるとともに、しかもその「苦」を生かしていくことができる、そういう道が開かれてくるのです。
「痴」はまた「癡」とも書きますが、これは疑う心が病気になっていて、人のあり方ばかり疑ってしまい、私自身のあり方については何の疑問も持たないということを表わしているように思えるのですが、いかがでしょうか。
(前住職 2020年5月)
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