2022年05月
東日本大震災から11年が経ちました。こうして鐘を撞き、法要を行うということの意味とは、あの震災で感じたことを掘り起こし、これからの生きる指針にしていくということではないかと思います。
あの一つの地震で2万人近い人の命が奪われました。私はあの時「いのち」ということについて突き付けられた気がします。「いのち」とは「いつ」「どこで」「どんな形で」終わるか分からない。そして、誰とも替わることができないたった一つの尊い「いのち」ということです。お孫さんと手を繋いで必死に逃げていたお祖母さんが「気づいたら孫の手が離れていた。老い先短い自分の命と孫の命を取り替えたい。」とテレビで涙ながらに話しておられましたが、どんなに願っても誰とも替わることができない、当たり前ではない、奇跡的に今を生きているのが私たちの「いのち」なのです。
京都大学の田中三知太郎先生に「死の自覚が生への愛だ」という言葉がありますが、自分の死を自覚したとき、どう生きるかが必然的に私の課題になってくるということがあるのだと、心の底から感じました。
もう一つ私が感じたことは「モノもコトもあって当たり前ということは一つもない」ということです。「当たり前」の反対は「有り難い」だと言いますが、あの時はいくらお金があってもモノがない。何時間も並んでやっと買えたものをお寺におすそ分けしてくださる方もいらっしゃって本当に有り難かったのを今でも覚えていますが、同時に人間は人と人の「間」を生きる関係存在だということにも気づかされました。
自分は一人で生きている、と言っても今着ている服も、食べている食事も材料を取ったり作ったりした人がいて、それを商品にして売る人がいて、調理する人がいて初めて私の手に渡る。人はひとりでは決して生きられない。人と人の間にあって生かされている存在なのです。
(同朋会 前住職法話より 2022年3月12日)
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