2021年10月
「続・煩悩について」
煩悩は八万四千といわれるほど数限りなくあり、私たちは皆そのすべてを持ち合わせています。彼にはあって私にはない、そういう煩悩がはたしてあるのでしょうか。「気が合うというのは たまたま今現れている
煩悩の種類が似ているということ」であり、いつ違う煩悩が現れて合わなくなってしまうかわからないのが私たちなのでしょう。
人間というものは何かに悩まされているのではなく、何かについての思いに悩まされています。自分の思い、自分の心に自分が悩まされているのです。そういう心を煩悩といい、そういう心の始末がどうしてもつかない人間のことを凡夫と呼んでいます。
親鸞聖人はご自分の凡夫の身を指して「煩悩具足のわれら」とおっしゃっています。煩悩を自覚するというところに悲しみ懺悔する心が生まれ、そういう生き方をひるがえすということが起きてくるのです。
元大谷大学学長の小川一乗さんが結婚披露宴の祝辞としていわれた言葉に「思いどおりにいかない人が側(そば)に居て、初めて思いどおりにしたい私の心が見えてくる」というものがあります。自分の心のとおりにいかない人の姿に私の頭が下がる時、私が私の煩悩に出遇う時なのでしょう。その悲しみを通して、違いを認めるということや心が通じるという関係がひらかれていくのではないでしょうか。
(同朋会 前住職法話より 2021年10月13日)
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