法話・今月の言葉


生活の中の仏教

2021年10月

差異(ちがい)を認める世界の発見

【楽しく遊んでいたけれど・・・】

夏休み、ご縁があって小学生にお話しさせてもらう機会をいただきました。子どもたちがふざけ合っているうちに、一人の子に向かって拾ったゴミを投げつけたというのです。本人たちには楽しく遊んでいたという意識しかないものの、相手の子はどう感じたのでしょう。

せっきー(お坊さん)から子どもたちにお話をしてもらえないか、というご相談でした。どうやって伝えるべきか悩んでいる時に、浮かんで来た一冊の絵本があります。

【ぼくたちは みんな ちょっとずつちがう そのひとだけの みえかた かんじかたをもっている】

ヨシタケシンスケさんの『見えるとか見えないとか』という絵本の読み聞かせから「気づく」ということの大切さについて子どもたちにお話をさせてもらいました。

絵本の中で宇宙飛行士の「ぼく」が、いろんな星を訪れるのですが、三つ目が当たり前の星では、目が二つしかない「ぼく」は、まっすぐ歩けるのか、背中が見れるのか気を使われてヘンな気持ちになります。

生まれつき全部の目が見えないっていう人もいて、その人の世界の感じ方は「ぼく」とずいぶん違っています。それは「別の世界に住んでいる」ってことなのでしょうか。でも、そもそも僕たちは皆ちょっとずつ違う。皆それぞれその人にしかわからない、その人だけの見え方や感じ方を持っています。

大きい人にしか見えないもの。小さい人にしか見つけられないもの。友だちがたくさんいる人にしかできないこと。おとなしい人だけが気づくことができるもの。皆よりゆっくりな人だけが感じられるもの。大人にしかわからないこと。子どもにしかわからないこと。

同じところを探しながら、違う所をお互いに面白がればいいんじゃないかな、という絵本です。

ぼくたちは皆、感じ方が違うから、もしかしたらぼくの「楽しい」が誰かの「痛い」になっていないかな。大切なのは「気づく」ということ、気づいた人が教えてあげるということだと思うんだ。という話を子どもたちにさせてもらいました。

今回のことを通して、差異(ちがい)に気づくいうことをとても考えさせられました。

(住職 2021年9月)

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