法話・今月の言葉

Q&A お寺さん
ちょっと
いいスか?

2021年03月

Q:お仏壇を買いたいんですが、いつ買ったらいいんでしょうか?

A:葬儀が終った何日か後、お仏壇がないので求めなければということになった時、よくこのような質問を受けることがあります。
お仏壇はむやみに買えない、買い求めるしかるべき日があるにちがいないと思われるようで、先のような質問になるわけです。そして質問はさらに続きます。「置く場所はどこがいいんでしょうか」、「どちら向きに置けばいいんでしょうか」と。

でもここで注意しなければならないことは、この質問がどういう気持ちから出て来るのか、その心の根っこにあるのは何かとうことです。これらの質問にかぎらず仏事に関する質問の場合、大抵はきちんとすべきようにしないと何かよくないことが起こるかもしれないという怖れの感情が潜んでいるようです。当人は気付いていないかもしれませんが、心の底にそういう怖れの感情が共通してあるように思われます。

なぜかと言いますと、そこに霊の存在を意識するからだと思います。私たちの幸や不幸はすべて霊界によって左右されるという古来からの霊信仰が、私たちの思考のベースにあるからです。何かまずいことがあると霊が人間界に戻って来てよくないことをするかもしれない。だから霊のご機嫌を損ねないようにいろいろと気をつかうわけです。
それで、「これはしてはいけませんか」「これはどうですか」と尋ねることになるのでしょう。お仏壇はご先祖様の霊を祀る場所と捉えられているところからこのような心配が生まれ、結局は慰霊、鎮魂の仏事に追われることになるのだと思います。

しかし、真宗では死者を霊としては捉えません。私たちは生命の根源、いのちの故郷である浄土から生まれ、そこに還るのです。亡き人は浄土に還り阿弥陀仏のもとで仏に、諸仏になっていかれるのです。ですから私たちは亡き人を霊として怖れるのではなく、仏として仰ぐことになります。

仏とは単に死んだ人を指すのではありません。仏とは仏陀、覚者のことで、悟られた方、目覚められた方、またはそのハタラキを表わします。だから亡き人を仏と仰ぐということは、亡き人のハタラキが私にまで届いて私が目覚めるということがあって初めて言えることなのです。

亡き人は仏様の世界、浄土にあって、「迷いから覚めてください。そしてどう生きたら自分らしい生き方ができるか尋ねていってください」と私たちに願いをかけてくださっているのです。
何か悪いことが起るとご先祖様の霊が迷って出てきたのではないかなどと右往左往していた私たちが、その願いを受けとめ、迷っていたのは自分たちの方でしたと目覚めていく時、「おかげさまで目覚めました」と本当の意味で仏様として拝むことになるのだと思います。

ですから真宗のお仏壇は浄土をかたどっています。真ん中に阿弥陀仏がおられて、ご先祖様は軸あるいは過去帳に法名が記され、横に掛けられるか前に置かれます。
あくまで本尊阿弥陀仏が中心となります。ご先祖様を通して阿弥陀仏を仰ぎ、そこに私の生き方を尋ねていく場所となるのです。それで家庭内へ仏様をお迎えした所という意味でお内仏と呼ばれます。

教えを聞き生き方を尋ねるのですから日など選んでいる余裕はありません。少しでも早い方がいいのです。また、落ちついてお詣りできる所ならどこに置いてもいいのです。方角も気にすることはありません。要は、亡き人を偲びながら仏様の教えに出遇って私の生き方を尋ねていくという一点を忘れないことです。

(前住職 2001年2月20日)

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