法話・今月の言葉


生活の中の仏教

2020年11月

濁世の目足(じょくせのもくそく)

私たちの生きている世界は濁(にご)りに満ちています。戦争や紛争、自然災害。思想や物の見方が邪悪になり、感情と利害ばかりが露出して歯止めが利かなくなります。そうして不健康になって精神や肉体も衰えます。また平均寿命がいくら伸びようとも成熟せず、人として生きる喜びが見いだせなくなります。

こうした世界のことを仏教では濁世と言います。この濁世を生きるのに必要なものを親鸞聖人は「濁世の目足」と言いました。目とは仏様の智慧、足とは実践すること=お念仏を称えることです。

私たちは煩悩をいっぱい抱えた愚者、凡夫です。その凡夫の目では世の中の濁りはなかなか見えません。私たちに命いっぱい生きよ、と願ってくださる阿弥陀仏の目をお借りすることで、命いっぱい生きたいと願っている私の本当の願いと、どこが濁っていて私が命いっぱい生き切ることが難しいのかが見えくるということがあります。

そして、そのことを我が身の事実として受け止め『南無阿弥陀仏』「私は阿弥陀仏を拠り所として生きていきます」と声に出して称え、宣言することが念仏者の実践であり、この世を生きる足となるのです。

(同朋会 住職法話より 2020年11月14日)

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