法話・今月の言葉


生活の中の仏教

2020年09月

日常と無常 ―コロナ禍の今を生きる―

「日常」と「無常」
―コロナ禍の今を生きる―

外出時にマスクをする生活にもだいぶ慣れてきました。お店のレジには防護シート、並ぶ時は距離をあけるためのシールが貼ってあり、半年前には思いもよらなかったことが起きているのだとあらためて感じます。不安の感じ方や子供の様子、家庭の状況もそれぞれ違う中で、私たちはどうしていくべきなのか、何ができるのか、悩みはつきません。

お寺は生きることと死んでいくことをずっと尋ねてきましたが、「疫病を生きる」というような、こういう生活になるとは予想もしていませんでした。

こうなって思い出されるのは東日本大震災のことです。震災から立ち上がる時、復興という言葉を使いました。復は「かえる、ふたたび」という意味で、災害が起きる前の生活を取り戻したいという思いを強く感じます。

「日常」=(イコール)「今日と同じ日が続くこと」だと考えていて、「へこんでしまった日常を何とか元の状態に戻したい」と考えていました。しかし視点を変えてみれば、へこんでしまったと感じる日常の中「ここ」に、私たちの「いま」があります。

仏教の教えに「無常」ということがあります。「常ならず」「変化して定まることがない」ということです。へこむ前の日常に思いを馳せ続けるのではなく「いま」私が生きている「ここ」がかけがえのない生きる場所だと実感し、関わりの中で我が身を生きることこそ大切なのではないでしょうか。

今回のコロナ禍についても「もし起きなかったなら、以前だったなら」と考えずにはおれません。けれど、本当は新しくつくっていくしかないのです。誰にとっても他と比べることのできない、一回しかない今のこの時を受けとめて、戻りたいという思いを抱えて、この場所でできることを始めていく。悩みながら、迷いながら、「いま、ここ」から始めていきましょう。

(公開同朋会 住職法話より 2020年7月11日)

一覧へもどる

◎葬儀・法要・墓地その他についてのご質問、ご相談はお気軽にお問合せください。

真宗大谷派 徳泉寺 とくせんじ

〒983-0852 宮城県仙台市宮城野区榴岡3丁目10-3
TEL.022-297-4248
FAX.022-297-4381
E-mail tokusenji.sendai@gmail.com

住職 徳泉寺 第17世住職
関口 真爾 せきぐちしんじ
前住職 徳泉寺 第16世住職
関口 秀和 せきぐちひでかず

© 徳泉寺 All Rights Reserved.

ページトップに戻る