法話・今月の言葉

Q&A お寺さん
ちょっと
いいスか?

2020年06月

Q:四日仏(よっかぼとけ)ってどうして嫌うんですか?

A:まだ若かりし頃、あるご法事の会食の席で隣に座った小母さんからこう尋ねられた私は、思わず「どうしてか僕にはわかりません」と答えてしまいました。すると彼女は、まだお若いからね」と気の毒そうに私を一瞥しただけで、話はそれっきりになってしまいました。

仙台周辺ではいつの日からか四日仏(よっかぼとけ)といって、亡くなった日を入れて四日目に葬儀を出すことは避ける習慣になっています。なぜかと言いますと、「四」という数字が「シ」とも発音するところから、それが「死」につながり、新たな葬儀を出すことになるのではないかという危惧からです。

実はその時も、私にはそういうことはわかっていました。だから本当は、まずどうして嫌われるのかを話した上で、「四がシと発音するというだけで死につながる、と言って嫌うのは僕にはわかりません」と言うべきだったのです。若さゆえつい先走って会話を途切れさせてしまいました。話し方の難しさを思い知らされた出来事でしたが、今でもまだこの四日仏の風習は健在のようです。

日の吉凶を気にする

このように私たちの周辺では、何かする時に日を避けたり選んだりということがよくあります。日の吉凶に影響されます。その代表的なものの一つが友引ではないかと思われます。先の四日仏は仙台周辺だけの風習のようで、いわば地方区と言えましょうが、この友引きは全国区、どこでも嫌われます。そして、それはあたかも仏教の慣習のように受け継がれてきていますが、仏教徒は全く関係はありません。

そもそもは中国の暦注の一つ、六曜からきています。それは兵法上日の吉凶を占ったことから始まったと言われ、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口と続きます。友引はこの順序から見てもわかるように、先勝と先負の間にあって相引(あいびき)とも言われ、共に引き合って勝負の決まらない日だったのです。

ですから昔は共引と書いていたいつの間にか友引と書くようになって、「共に引き合う」が「友を引く」と変わってしまったようです。そして、あの世まで引っぱっていかれては困るというので、この日には葬儀をしないということになったようです。

このように単なる語呂合わせでしかないのに、悪いことに引かれるのはいやだと嫌い、その一方では良いことにはあやかりたいと、結婚式は友引にも行ないます。自分に都合の良いことは好み、都合の悪いことは嫌うという、私たちの身勝手さがよく現れていると言えます。

諸法無我

釈尊の教えを代表する言葉の一つに「諸法無我」というのがあります。すべてのものは因縁によって生じており実体性はないというものです。つまり、日というのは私たち人間が便宜上決めてそう呼んでいるだけで、実体はないのです。決める基点が動けば全部ずれてきます。

六曜も同じで、友引という日の実体はないのです。そして、実体のない日に人間の運命が左右されるなどということも考えられません。根拠のない日の吉凶にこだわり、「四日仏だから」「友引だから」と自分を縛って不自由を招いている生き方は、本当に自分を生きていることにはなりません。

良いことも悪いことも皆因縁によって生じてくるとわかったっ時、すべてを自分の責任において素直に受けとめ、自分が自分になっていくための肥料にしていくことができるのだと思います。そして、そのことをわからせていただく智慧を授かるのが釈尊の説かれた仏教です。

(前住職 2001年7月18日)

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